先日、蜂の哲学室を開催しました。
今回のテーマは、
「自分のエネルギーの使い方」
です。
蜂の哲学室は、ひとつのテーマについて、それぞれが感じていることや考えていることを、安心して言葉にする場です。
誰かの話を否定しない。
求められていないアドバイスをしない。
ここで聞いた個人的な話は、外へ持ち出さない。
答えを出すことを急がず、誰かの言葉を聞きながら、自分の内側にも目を向けていきます。
自分のエネルギーを、何に使っているのだろう?
今回は、
「自分のエネルギーを、どのように使っているのか?」
「自分のエネルギーを、何に向けているのか?」
という問いからスタートしました。
仕事に使っている。
家族のために使っている。
自分の好きなことに使っている。
これからやりたいことに向けている。
そんな話が出てくるのかなと思っていました。
ところが、実際に話し始めてみると、参加された皆さんの気持ちは、エネルギーの「注ぎ先」よりも、
何によってエネルギーを奪われているのか。
どんなときにエネルギーを削られているのか。
という方向へ向かっていきました。
どんなときに、エネルギーを奪われるのか
そこで、
「どんなことにエネルギーを奪われたり、削られたりしますか?」
ということを、みんなでシェアしてみました。
誰かの機嫌を気にしているとき。
相手の期待に応えなければと思っているとき。
本当は嫌なのに断れないとき。
頼まれていないのに、相手の問題まで背負ってしまうとき。
言いたいことを飲み込み、何事もなかったように振る舞っているとき。
相手がどう思うかを考え続け、自分の気持ちがわからなくなってしまうとき。
それぞれの話を聞いていくうちに、そこには共通するものがあるように感じました。
それが、バウンダリーです。
バウンダリーとは、自分と相手との境界線
バウンダリーとは、自分と相手との間にある境界線のことです。
「ここまでは私のこと」
「ここからは相手のこと」
と分けるための、目には見えない境界線です。
この境界線が曖昧になると、相手の感情や問題まで、自分の責任のように感じてしまうことがあります。
相手が不機嫌なのは、自分のせいかもしれない。
困っている人がいたら、自分が何とかしなければならない。
断ったら、相手を傷つけてしまう。
期待に応えなければ、嫌われてしまう。
そうして相手の領域に入り込んだり、自分の領域に相手を入り込ませたりするうちに、少しずつ自分のエネルギーが削られていきます。
バウンダリーは、まっすぐな線ではない
今回の対話の中で、参加者全員が気づいたことがありました。
それは、
バウンダリーは、まっすぐな直線ではない
ということです。
自分と相手との境界線は、いつでも一定の場所に、きれいに引かれているわけではありません。
むしろ、波線のようなものなのかもしれません。
波が高いときもあれば、低いときもある。
自分に余裕がある日は、相手の言葉を受け止めても、それほど大きく揺さぶられないことがあります。
けれども、疲れているときや弱っているときには、いつもなら受け流せる言葉に、深く傷つくこともあります。
相手との関係によって、波の形が変わることもあります。
家族、友人、職場の人。
相手によって、近づける距離も、守りたい距離も違います。
バウンダリーとは、一度まっすぐに線を引けば終わるものではなく、日々揺れ動きながら、その都度感じ直していくものなのだと思います。
大きく抉られたとき、私たちは押し返そうとする
バウンダリーの波が大きく抉られたように感じるとき、私たちは反射的に押し返そうとします。
これ以上入ってこないでほしい。
私は間違っていない。
あなたの言うとおりにはしない。
傷つけられた分、言い返したい。
自分を守るために、押し返す力が生まれます。
それは、とても自然な反応です。
傷つけられたときに、自分を守ろうとすることは悪いことではありません。
けれど、相手の力に対して、こちらも同じ力で押し返し続けると、そこには大きなエネルギーが必要になります。
相手の言葉を何度も思い返す。
頭の中で反論を繰り返す。
自分の正しさをわかってもらおうとする。
相手の態度を変えようとする。
そうして押し返すことに力を使い続けた結果、私たちは疲れ果ててしまうことがあります。
エネルギーを奪われたうえに、押し返すためにも、さらにエネルギーを使ってしまうのです。
押し返さないでみたら、どうなるのだろう?
そこで、その場に新しい問いが生まれました。
では、押し返さないでみたら、どうなるのだろう?
ただし、「押し返さない」ということは、相手の言うとおりにすることではありません。
傷つけられても我慢することでもありません。
されるがままになることでもありません。
相手に屈することとも違います。
では、押し返さないとは、どういうことなのでしょう。
そこで出てきたのが、
同じ土俵に立たない
という言葉でした。
同じ土俵に立たないとは?
相手が強い言葉を使ってきたからといって、こちらも強い言葉で返さない。
相手が感情的になっているからといって、その感情の中に一緒に入っていかない。
自分の正しさをわからせるために、延々と争わない。
相手が作ったルールの中で、自分まで戦おうとしない。
相手を変えようとすることから、いったん離れてみる。
それが「同じ土俵に立たない」ということなのかもしれません。
しかし、頭で理解することと、実際にできることは違います。
相手から強い言葉を向けられたとき。
理不尽なことを言われたとき。
自分の大切なものを踏みにじられたように感じたとき。
そんな場面で、押し返さずにいることは、決して簡単ではありません。
また、何も言わずに耐えるだけなら、それは自分を守ることにはならないでしょう。
「押し返さない」とは、黙って傷つけられ続けることではないはずです。
距離を取ることかもしれません。
話を打ち切ることかもしれません。
「それは受け入れられません」と、静かに伝えることかもしれません。
相手の感情を相手に返し、自分の中へ持ち込まないことかもしれません。
あるいは、自分を守るために、その場から立ち去ることかもしれません。
押し返すのではなく、境界線の外へ一歩下がる。
相手と力比べをするのではなく、自分が立つ場所を選び直す。
そんな方法もあるのかもしれません。
優しさと、背負うことは違う
人の気持ちを考えられることは、優しさです。
困っている人を助けたいと思うことも、大切な気持ちです。
けれど、
相手を思いやることと、相手の感情や人生を背負うことは、同じではありません。
相手がどう感じるかは、相手の領域です。
自分がどう感じ、どのように行動するかは、自分の領域です。
頭ではわかっていても、実際の人間関係の中では、その線引きは簡単ではありません。
特に、これまで周囲に配慮し、期待に応え、自分の気持ちを後回しにしてきた人ほど、
「私はどうしたいのか」
よりも、
「相手は私にどうしてほしいのか」
を先に考えることが身についています。
それは、その人が人生の中で身につけてきた、生きるための力でもあります。
だから、境界線が曖昧な自分を責める必要はないのだと思います。
ただ、今の自分には、これまでとは違う守り方が必要なのかもしれません。
今回、持ち帰ってもらった問い
今回の蜂の哲学室では、答えをひとつにまとめることはしませんでした。
参加された皆さんに持ち帰っていただいたのは、
私にとって「押し返さない」とは、どういうことだろう?
という問いです。
「抉られる」
「削られる」
「奪われる」
そんな波が押し寄せてきたとき、押し返さないとは、どういうことなのか。
されるがままになることとは、何が違うのか。
同じ土俵に立たないとは、日常生活の中で、どのような行動になるのか。
その答えは、人によって違うはずです。
ある人にとっては、返事をすぐにしないことかもしれません。
ある人にとっては、「それはできません」と伝えることかもしれません。
ある人にとっては、相手の機嫌を直そうとしないことかもしれません。
ある人にとっては、会う回数を減らすことかもしれません。
また別の人にとっては、心の中で何度も反論することをやめることかもしれません。
日常生活の中でこの問いを持ち続けることで、それぞれの方が、自分なりの答えを見つけていくのではないかと思います。
次にお会いしたとき、皆さんがどんな答えを見つけたのか、聞かせていただけたらうれしいです。
自分のエネルギーを、どこへ戻したい?
今回のテーマは、「自分のエネルギーの使い方」でした。
けれど、エネルギーの使い道を考える前に、
自分のエネルギーが、どこから漏れているのか。
何によって削られているのか。
そこに気づくことが必要なのかもしれません。
誰かの機嫌を取るために使っていたエネルギー。
嫌われないようにと、我慢するために使っていたエネルギー。
まだ起きていないことを心配し続けるために使っていたエネルギー。
相手を押し返し、自分の正しさをわかってもらうために使っていたエネルギー。
それらを少しずつ自分のもとへ戻すことができたら、そのエネルギーを何に使いたいでしょうか。
休むためかもしれません。
好きなことをするためかもしれません。
大切な人と穏やかに過ごすためかもしれません。
これまで後回しにしてきた、自分自身の人生を生きるためかもしれません。
蜂の哲学室では、ひとつの正解を出すことを目的にしていません。
誰かの話を聞きながら、
「私はどうだろう?」
と、自分の内側を見つめてみる。
そして、すぐには答えの出ない問いを、日常へ持ち帰ってみる。
問いを持ったまま暮らしていると、ある日の何気ない出来事の中で、自分なりの答えが見つかることがあります。
今回の対話を通して、私自身もあらためて考えています。
私は、自分のエネルギーを何に使っているのだろう。
私は、何を押し返そうとして疲れているのだろう。
そして私にとって、同じ土俵に立たないとは、どういうことなのだろう。
揺れ動くバウンダリーを感じながら、自分の大切なエネルギーを、少しずつ自分のもとへ取り戻していきたいと思います。
