「どっちでもいいです」
「あなたの言う通りで大丈夫です」
「私が決めることじゃないので」
気づけば、
こんな言葉が、いつの間にか口ぐせになっている。
大きな決断だけじゃなくて、
何をしたいのか
どう生きたいのか
本当は、どちらがいいのか
そんな問いの前で、
少し立ち止まってしまうことはありませんか。
それは、性格の問題ではないのだと思います。
ただ、「選ぶ」という感覚を育てる時間が、なかっただけ
──そんな人も、とても多いのです。
子どもの頃、あなたは「選ばせてもらえて」いましたか?
少しだけ、子どもの頃を思い出してみてください。
着る服は、親が選んだもの
習い事も、進路も、家族の意向が優先
「あなたのためだから」と言われてきた
自分の希望より、「それはダメ」が先にあった
そんな環境で育つと、
「自分で選ぶ」よりも
「期待に応える」ことの方が、安全だった のかもしれません。
選ばなかったのではなく、
選ばないほうが、傷つかずに済んだ。
ただ、それだけのこと。
「親の期待に応えたい」は、とても自然な気持ち
親の期待に応えたい。
がっかりさせたくない。
できれば、喜んでほしい。
それは、子どもとして
とてもまっとうで、健全な気持ちです。
ただ、その気持ちが強いほど、
心の中に、こんなルールが増えていきます。
自分の希望より、正解を探す
喜ばれる選択を優先する
間違えないことが、何より大事
そうやって少しずつ、
「私は何を望んでいるんだろう」
その感覚が、遠くなっていく。
選べないのは、意志が弱いからじゃない
大人になってから、
「どうして私は決められないんだろう」
「主体性がないのかな」
「自分軸がないのかもしれない」
そんなふうに、自分を責めてしまう人は少なくありません。
でもそれは、
長い時間をかけて身につけてきた “適応” です。
空気を読む力
期待を察する力
波風を立てない力
それらは、あなたが
ちゃんと生き抜くために身につけた、大切な知恵でした。
40代・50代で訪れる「選べなさ」への違和感
この年代になると、
ふと、こんな感覚が顔を出すことがあります。
人生を、誰かに委ねてきたような気がする
大きな失敗はないけれど、手応えもない
「これは、本当に私の人生だったのかな?」という問い
でもそれは、遅すぎるサインではありません。
むしろ、
これからは
「期待に応える人生」から
「自分の感覚を生きる人生」へ
静かに切り替えていける、タイミングなのだと思います。
「選ぶ練習」は、今からでいい
選ぶ力は、生まれつきの才能ではありません。
何歳からでも、育て直すことができます。
いきなり、大きな決断をしなくていい。
今、少し心が動いた方
どちらかといえば、こっち
なんとなく、こちらのほうが楽
そんな、ささやかな感覚を
ひとつずつ拾っていくところからで大丈夫。
一番伝えたかったこと
これを書こうと思ったのは、何年か前にこちらのYouTube動画を観たのです。
この時の、子どもたちが「自分が本当に欲しいもの」を選んだ時の笑顔がかわいくて、涙が出てしまいました。
「自分で選ぶ」ということは、こんなにも自分を表現し、その表現自体が尊いなと思いました。
しかし、選べなかった人生は、
間違った人生ではありません。
それは、
誰かを大切にし、
期待に応え、
懸命に生きてきた証です。
でも、これからは。
あなた自身が、あなたの人生を選んでいい。
その感覚を、
少しずつ取り戻していけたらいいですね。
